長春からの第2報

五月

美しい春

ここ長春ではようやく春の風が吹き始めました。冬の間、すべてが枯れ果て、どこもかしこも凍りついていた大地から、一日ごとに緑の芽が吹き出し、青々と茂り、杏子、レンギョウ、スモモの花が一斉に咲き出して、どこにこれほどのエネルギーが秘められていたのかと驚く毎日です。今日は学生達と宿舎近くの南湖公園を散歩しました。緑豊かなとてもきれいな公園です。湖畔には無数の柳の巨木がやさしく揺れて、黄色い瓦屋根の東屋が点々と風景と溶け合い、「梁齎志異」を思い出す美しい風景です。入場料を払ってはいる公園なのでここはきれいに掃除がしてあり、とても快適にのんびりできました。 


学生食堂での食事

食堂へは取っ手付きの直径15センチ程のホーローのコーヒーカップ状のものに皿型のふたの付いたの、あるいは、洗面器状の小型のホーロー食器を、スプーンと一緒に袋に入れて持っていきます。この食器はテレビでもよく見られますね。広大な食堂の入口を入るとL字型に台がありその台の上に20種類程の料理が、熱いの冷たいのに分けられ、また鳥肉、豚肉、内臓、その他の肉の塊がそれぞれ山のように盛られています。学生はまずご飯を食器に100 g〜150 g買い、次に料理のところへいって、その上に盛ってもらいます、肉の塊も買う人はまたその上にのせて席に着きます。大体一人3元〜7元(40円〜80円)。いちどきに集中するので、その熱気は大変なものです。料理は東北料理で塩気がきつく、南のほうから来た人にはちょっと気の毒です。でもよく選べば塩気の薄い料理もあります。だいたい11:30 〜11:50 迄で終わり、あとは各自食器を洗い、それぞれの部屋で1時過ぎまで昼寝をします。

この昼寝の習慣は大変いいもので、午後の授業で学生が元気いっぱいな理由はここにあります。日本での授業のときアジアからの学生が午後本当に眠そうなわけがよく分かりました。中国の南のほうではこの習慣がないそうですが、


中国(長春)の一般の食堂での食器の扱い方について
まず席に着くと、コップと小皿を、おいてある紙ナプキンできれいに拭きます。お客が全員おしゃべりしながら同じ事をしています。

きれいな場合もあるのですが、たいてい水で濡れています。出されたお茶でコップをゆすいでそのお湯を床に捨てる人もいます。

(北京や、上海ではきれいな食器が出てきましたからこれは地方性の問題かもしれません。)

ある日いつものように席につくとすぐ無意識に食器を拭き始めたことに気が付いた私たちは、「日本に帰ったら、これをやらないよ うにお互いに気をつけようね。」と言い合ったものです。

(はじめにお皿を拭けというのは中国の学生に教わりました。

上海や北京から来た学生が、長春の水がそのまま口に入ると、お なかを壊すということで。

実際、サラダを食べるとすぐでした。どうもこれは硬水だかららしい。ほかの地方から来た学生も水が合わないって言っていました。

でもお皿に水が残っているのを見れば自然に拭かずにいられません。)

食事のとき、日本では骨や食べカスは皿の隅に置きますが、中国では、テーブルの上に置いたり、床の上に捨ててもいいそうです。

日本では、テーブルの上にちょっと落ちたりしたものは箸で拾って食べたりしますが、中国でそれをすると何と汚いことを平気でする奴だと顰蹙を買います。

習慣が違うというのはこういうことですね。

食事のあとが汚ければ汚いほど満足度が高いそうです。でもホントかなという気もします。みんな結構きれいに食べていますから。

日本と違って、中国では料理は少し残したほうがいいらしいです。 こんな話があります。

中国の人に招待されたある日本人グループが、料理を残しては失礼になると、必死で食べたそうです。

皿が空になったのを見て 招待者はまだ足りないのだと思い料理を追加しました。その後果てしない料理の追加が繰り返されたということです。

 トイレについては前にも書きましたが、ドアがあっても開けっ放し、使ったあとは流す習慣がありません。こちらでは次に使う人 が流してから使うそうです。


これは先に書いた食堂での食器の処理に共通していますね。食べる人が食器を拭く。発想の違いに驚いてしまいます。


どこのトイレもひどい状態だった理由がこれだったんですね。やっとわかりました。


ドアが開けっ放しの理由も 生理的なことに対して何を恥ずかしがる必要があるのかというところでしょう。


これがわかるのに2ヵ月かかったわけです。


外国 旅行には行きましたが、住んでみなければわからないことがたくさんあるんですね。もう少々のことでは驚かなくなりましたが。


長春名物、春の風

長春名物の春の風が吹きすさぶ季節になりました。これはとても大陸的と言っていいでしょう。ビョウビョウと、埃を高く吹き上げ、台風のようで前にも進めず、10m先も見えず、目も開けていられないほどの勢いです。女性は頭からすっぽりスカーフをかぶり、男性はサングラスを掛けています。髪はゴワゴワ、顔はザラザラ、毎晩シャンプーをしないととても寝られません。部屋の中も窓を閉めれば大丈夫ですが、どこからともなくほこりが入ってきます。私は日本で作業用の防塵眼鏡を買っていったので、助かりました。午前中は穏やかなのですが、午後になると始まります。一ヶ月ぐらい続きました。

 先週中間テストのあとメーデーを入れて土、日、月と三日間の休みがあり、日曜日に中国人の先生の案内で長春から車で1時間ほどのところにあるカロン湖という湖に行きました。この日も風が強く、広い湖が波立って海のように見えましたが、白樺と落葉松の林が続き、日本のどこか避暑地に居るような美しいところでした。ここも入口でお金を払いましたが、南湖公園と同様お金を払ったところはとてもよく整備されていてゴミもなくきれいだというわけです。中国は日本の36倍の広さと12億の人口を抱えています。ここをすべてきれいに整備するなど無理な話です。町全体はまだきれいではありませんが、こうやって、休みの日に家族や友達と遊びに行く場所がきれいになっていけば、町の有り様も少しずつ変わっていくのだろうと思います。北京などでも新しく都市計画をして作るところは環境整備も進みつつあるようですし、オリンピックが誘致できなかった理由の一つがトイレなどの基本的環境の問題だということが周知のことになっていますから。
 日本でも万博辺りまでは環境は二の次という時代でしたから偉そうなことはいえません。中国人のT先生の話によるとケ小平の、1部が先に金持ちになりそこから全国的に金持ちが広がっていけばよいという政策が思ったほどの効果を見せずただ金持ちがもっと金持ちになっていってしまっているという現実があります。人間はどこも同じで、社会主義からどんどん離れていってしまう結果が出てきました。北京の市長の更迭など思い切った対策がとられていますが、江択民はそろそろケ小平を切りにかかっているという記事がニューズウィークに出ていましたが、これもその一環でしょう。
ケ小平後の揺り返しが心配です。(1995年)


すばらしい学生たち

 人間についてお話します。私たちが一番よく接するのは一緒に組んで仕事をしている中国人の先生、博士課程の学生たち。多分中国人の中でもとびきりの人たちばかりなのでしょう。紳士的で、誠実で、これ以上ないほどすばらしい人たちばかりです。褒めすぎだと思われるでしょうが。これは接した人でないとわからないと、私たちはよく話します。
日本の今の学校でこういう人たちに教えるのだったら、給料が半分になってもいいと本気で思うほどです。
北京大学で教えていたある日本人の先生が同じようなことをその著書に書いています。
中国はまだ入れ物はいまひとつですが、中身を構成する人々にはとても魅力があります。
学生はひたすら勉強します。よくこれほど勉強すると感心するほどの勉強ぶりです。科挙の伝統があるからでしょうが。完璧に暗記をした上で授業に臨みますから、授業の理解は早く運用力も大変なものです。日本語を平仮名から始めて5ヵ月しか経っていないとはとても思えません。彼らの使っている教科書は特別の教科書、A4 530 ページ、上下2冊、計1030ページの大部の本で、語彙数5000、普通の初級の本とは全然違います。例えば、私たちが使う英語の教科書の中1から高3までが入っているようなものです。それを6ヵ月の間に、読み書き話す、すべての能力を高3レベルまで持っていこうというのですから、はっきり言ってこの本を見たとき、気違い沙汰だと思いました。けれども彼らの80%はこなしていきます。教えた文型を次々これほどすぐ上手に使っていく人たちを見て教師冥利につきるという気分をいつも味わせてもらっています。ほとんどが理科系の学生ですが本当にすごいの一言に尽きます。この本は6月の末で終わり7月8月は中級日本語に入りますが、その外、7〜8月は東大、東工大の理科系専門科目の先生が12人来て、専門日本語と称すり専門科目の授業を日本語で行います。彼らは日本語が専門ではないので学生は生の講義を日本語で聴かなければなりません。 8月の終わりには、自分の研究を口頭で発表し、先生方の専門に関する質問に日本語で次々答えるという大変な試験が待っています。私たち日本語担当は6人のうち3人が6月末に帰国して、団長と私、あと東北大の先生の3人で中級日本語と、研究発表のための論文のチェック、口頭試問のための日本語の指導をしなければなりません。

 けれども一生のうちでこれほど優れた人たちに教える機会はそうそうないだろうと思うとどんなに忙しくても苦になりません。この教科書は私たちにとっても準備が大変です。 始めて扱う教科書というのは、多分おわかりだと思いますが、慣れた者でも1時間教えるのに1時間の準備、慣れていない人ならそれ以上に時間がかかります。いい授業をするためには当然のことですが、これを私たちは週15時間教えなければなりません。また週例テスト、中間、期末テストと、今までのものもありますが、やはり毎年手直しをする必要がありこれも大変です。今年のメンバーはまじめで精力的な人ばかりで、学生との関係もよく、いい仕事ができていると思います。学生といっても、24才〜35才の大人ばかりで、中国の全土から試験を受けて集まってきていますから、内容も厚みがあり、授業の中でいろいろおもしろい話が聞けます。博士課程の学生の寮はほかの学生の寮と比べて恵まれているそうですが、それでも1部屋3人、テレビは集会室でしか見られませんし、台所もなくシャワーも人数が多いので週2回しか使えません(でも近くにお風呂屋があります。多分シャワーだけ)。ですから学校の教室で10:30 まで勉強してから寮に帰るそうです。そんな劣悪な環境の中で、大の大人が奥さんや子供と離れて、1年過ごすのですから、本当に感心してしまいます。日本へ行けば日本政府から1ヵ月20万円の奨学金が出ます。たいていの人は2年〜4年日本で研究をするので、半年経ったら家族を呼びたいそうですが、子供の教育の問題や、奥さんの仕事の都合もあって、どうなるかわからないそうです。奥さんも学者だったり、アメリカに留学していたりと、それぞれ事情があるようです。 

しかし彼らや中国人の同僚に接していて、昔漢文を勉強していたときに中国に対して持った印象が全然損なわれないことに驚きます。しかしこれにもル−ルがあるようですが。 



中華料理について

中国の人は宴会を大変大切にします。私たちが着いた当時、予備学校の校長招待の宴会、大学の学長招待の宴会、副学長招待の宴会、学生招待のパーティー、それから3月誕生日の私のためにほかのメンバーが企画してくれた日本人と中国人の先生が1同に会した宴会。これらはみんなコース料理でした。その外10人以上集まれば大宴会になります。クラスの学生たちにも2度招待されました。コースでは、まず冷菜(いわゆるオードブル)8皿がまず並びます。それから温菜、スープ等次から次へと10種類以上。料理に関する限り中国の人は本当に豊かな生活をしています。招待されたところはやはり学生食堂と違って、おいしいところばかりでした。四川料理の食堂では四川からの学生がおいしいものを選び、広東料理の店では南からの学生が、というように料理についてはほとんどはずれがないうれしい日々です。しかしその種類の多さには驚きます。中国で外国料理のレストランがほとんどないのは、その必要がないからでしょう。



宴会のときのお酒について

ここ長春では宴会には白酒、ビール。
紹興酒はほとんど見ませんでした。

ビールはおいしいものが何種類もあります、雪花ビール、銀瀑ビールなど。
青島ビールはこちらではかなり高いので置いていない店も多いです。

この地ビールは軽くて飲みやすい。でもビールを5本ぐらい並べ喫水線を見ると入っている量が少しずつ違うのに気がつきます。日本ではそんなこと考えたことがないけれど、なんだか笑ってしまいました。

白酒(パイチュウ)はアルコール度数45度以上の強いものですがいい香りがします。これは小ぶりの杯で飲みます。乾杯のときには文字通り飲んだあとコップを下に向け、飲んだことを証明します。
 先先週私たち日本人教員が6人で80人の学生と中国人の先生を招いて、大学の学術センターで宴会をしました。私たち一人当たり500元(5000 円)計3000元で大宴会ができました。これは今までの答礼の宴会です。中国では招待を受けたら必ず答礼の宴会をしなければなりません。今までの宴会のときにはわたしは白酒はきついので飲まなかったのですが、大勢の人たちが乾杯に来て、ついに白酒を計4杯と、ビールを10杯ぐらい飲んだらすっかり酔っぱらってしまいました。私は結構強いほうなのですが。


長春の北京ダック

私たちは招待所の料理に飽きると外へ食べに行きます。一番の人気は北京ダックの店、ここでは、家鴨を1羽、あるいは半羽と注文します。大皿に丁度いい大きさにそいだ肉と皮がこんもり盛ってあり、それと強力粉で作った薄い皮、名古屋の八丁味噌に似た黒い味噌とねぎの千切りがどっさり出てきます。こんなにぜいたくな食べ方は日本では望めません。これは何度食べても感動です。ここでのおすすめは、貂油生菜(貂の油で炒めた青菜)コクがあって絶品です。荷三豆(巨大なきぬさやと中国サラミの炒めもの)、鹿の串焼、玉美羹(甘いとうもろこしのスープ)、とうもろこしだけでなく、中にほかの穀物や何だかよくわからない赤や緑の実も入っています。松花鶏肉(鶏の腿肉で皮蛋を巻いて甘辛く煮たもの)。とにかく味付けがいい。ピカ一です。12皿以上頼んで値段は10人で、300元(3000 円)、もちろんビールも飲みました。


貿易センターホテルでの料理

ここには観光客が泊まるので初め私たちに外国人向けのメニュウを出してきました。そのメニュウを見て目が飛び出ました。1皿の値段が約10倍、私たちはこちらでも中国元の給料をもらっていますから、どうしてもそのレートで考えてしまいます。その上メニュウには私たちがおいしいと思っていつも食べる料理が一つもありません。私たちは大学から身分証明書と工作証をもらっているので、それを見せて、現地の人用のメニュウを出してもらいました。そこにはあるではありませんか。地三鮮(ジャガイモとピーマンと茄子を揚げて、牡蠣油で炒めたもの)、蝦仁叭油菜(青菜を炒めてエビの餡がかかっている)酸辣湯(スァンラータン)雪衣豆沙(卵の白身を泡立てた中に日本と同じあんこを入れて揚げたもの)、水餃子。その時観光客は中国へ来ても、気の毒なことに本当のおいしい中国料理は食べられないのだということに気がつきました。味は上品で、5つ星ホテルなので、内装も完璧、サービスもいい。ただここもトイレはドアがほとんど壊れています。トイレの真中に水を入れたバケツが5つ並べてあって、流すのは、客です。 


近所の料理店いろいろ

金川酒店(招待所から歩いて1分):ここは中国の人には少し高いせいかいつも空いています。けれども味はいい。ここでは四川、広東の料理が食べられる。三鮮焼豆腐(揚げ豆腐の三鮮)。あしたばの炒め物。酸辣湯(サンラータン)
そのとなりの朝鮮料理店:ここの冷麺は絶品。1椀5元。焼肉も食べられますが、日本のほうがおいしい。

学校近くの回族のレストラン:ここは青年協力隊のMさんおすすめ。ここを知ってからあんまりおいしいので、たいていここで食べるようになりました。ここのおじさんともすっかり仲良くなり、たまに学生がここで、ウイグルのうどんを作ったときは食べさせてくれます。そのうどんというのは讃岐うどんそっくりの歯ごたえとのど越しで、これをトマトのスープで、あるいはトマトのソースをからめて食べるのですが、とてもおいしいものです。Mさんは大学の新彊班で教えています。新彊と言うのは中国の西の端ウイグルのことで、ここからも日本へ留学するための学生が40人来ています。ウイグルの言葉はウイグル語、中国語を話す人は少ないそうです。顔だちは漢族ではなく、シルクロードの顔です。彼らのほとんどは回教徒で、豚肉は食べません。ですから入るレストランは回族の店と決まっています。今年はこのグループのためにわざわざコックがついてきて学生食堂でもウイグル料理を食べることができるようになったそうです。中国では辺境の地、特にウイグルのような西の国境に近い地域は民族紛争が起こらないように特別の予算を組み、その地方の人たちの給料も漢族の平均より高くしているそうです。中国政府も苦労をしているなと、おもしろく思いました。ここのおすすめは、餡餅(ねぎと挽き肉の入った平たい餅)日本のねぎ焼きの味です。B肉条(牛肉の薄切り煮込み)この牛肉がおいしい。木須柿子(卵とトマト炒め)トマトがふんだんに入っていて日本で作ったら大変高い。牛肉純柿子(トマトスープ)濃いトマトの味と牛肉のダシでこれは絶品。炒白菜羊肉(スパイスの効いた羊肉の炒め物)。水煮肉片(キャベツと羊肉入辛いスープ)これは見ただけで辛そう。とうがらし色のスープにとうがらしがそのまま30本ぐらい突き立って居る。でも辛さに慣れたあとの旨味がたまりません。鍋扇豆腐(絹漉しのおいしい豆腐の間に肉と野菜を挟んで揚げたもの)茶わん蒸しの卵の少し固いののような歯ざわりで、日本人には感動ものです。私はこの店が1番気に入っています。 


運動会

先週の土曜日には、博士班(ウィグル族の博士班も合同でした)の運動会がありました。どんなに堅苦しいものかと思っていましたが、とても自由で楽しいものでした。初めに入場行進。わたしはこの運動会のためにスウェットスーツと運動靴をわざわざ現地調達したのに会場にいってみると全員スーツに一番いいネクタイをしているではありませんか。学生に聞くとみんなで申し合わせたそうで入場行進が終わったら着替えるということです。寮の前のグラウンドだからということもありましたが。行進のときには全員上着を脱ぎとても凛々しい様子になりました。
 私も行進でクラスの前に立ちましたが、その時のかけ声に一瞬ここはどこ?彼らは学生時代から軍事教練を受けているので、決まったかけ声があるのですね。なんだか今まで知っていて彼らとは違う人たちのよう。アメリカの兵隊みたい。そのかけ声に合わせて、行進するのはおもしろい経験でした。そのあと国歌斉唱。学長、校長、我が日本語グループの団長のあいさつ。あとはプログラムにしたがって。好きなように競技をします。100メートル走から始まって、20種類ほどの競技があります。槍投げ、砲丸投げ、円盤投げはウイグル班の独擅場。走りと高跳びなどは博士班。我々教員も、二人三脚、手榴弾投げなどに参加。合計得点で、順位を競います。結局私のクラスは博士班の中で4位(5班中)。全体で6位(10クラス中)と振いませんでしたが、精神文明賞というのをもらいました。これはアナウンス担当に、どれだけたくさんの原稿をもっていって放送されたかということに贈られる賞です。私のクラスの学生たちは形勢不利と見て、次々おもしろい原稿をもっていったそうです。今その賞状はクラスの正面の壁に美しく飾られています。運動会のあとは、教員の慰労の宴会。その後7:00から学生主催のダンスパーティー。校舎の一階の広いパーティー会場で行われました。赤や青の電気がくるくる回る中を社交ダンスやディスコを踊ってとても楽しい夜を過ごしました。日本の学生と違って、白けたムードは全くなく、学生たちはダンスも上手、爽やかでとても素敵です。

宿舎工事の騒音問題に悩まされて大変な面もありますが、この学生たちと知り合えて私は本当に幸せだと思いました。今日は5月25日。書きたいことはまだまだありますがこの辺で長春第2報をお送りします。あさっては、浄月譚へ予備学校主催のハイキング。きっとおもしろい発見があるでしょう。