長春からの第三報
6月
突然の夏 |
長春は今日6月7日。おとといから突然夏になりました。 |
引越し |
いま、私は大学の構内にある留学生宿舎のVIPルームと呼ばれているきれいな部屋にほかのメンバーと離れて一人で住んでいます。 我々の宿舎は前にも書いた通り、建設途中で、昼夜を問わぬ工事が続いていました。 我々が来た当時、宿舎はまだ完成しておらず、我々6人のうち4人は、短期滞在者向けのホテル用に作られた部屋に入ることになりました。 トイレ、シャワーは共同、宴会場の前にあり、宴会騒音、カラオケ騒音のために、長期滞在者の我々にとっては劣悪な環境だったと言えます。 そのうえの昼夜問わずの工事騒音、この宿舎だけでなく、隣接地の大学所有地のアパート建設工事が重なって、不眠症、神経性胃炎、不整脈、耳下腺炎、アトピーの悪化など次々とメンバーが病院通いをすると言う事態になり、大学側との交渉のすえ、私は留学生用の宿舎の中でVIPルームと呼ばれているこの部屋に移ることができました。この部屋は、8畳ほどの寝室と、16畳程の居間の続き部屋です。台所は共同ですが、浴室にはトイレ、シャワー、バスタブと洗面所がついていて、ちょっとしたホテル並みの内装です。ここに移りやっと静かで落ち着いた生活ができるようになりました。とても快適です。 ここには外国人留学生が80人ほど住んでいます。韓国人と、日本人が多くあとは欧米人が20人ほど。みんなとても明るく感じのいい人たちです。 留学生たちは2人一部屋で、違う国の人と暮らしています。トイレ、シャワー、台所は共同です。VIPルームは1階に3つあり、1つには韓国人の教授、この大学で、教育学を教えています、40才ぐらい。もう一つには、同じく韓国人で中国語と、水墨画の勉強に来ているKさんと言う50才の男性(ほかの留学生の話によるとどうも韓国で有名なジャーナリストらしい)。2人とも明るく、オープンな雰囲気で、とても素敵です。彼らは日本語が全然出来ないので、先生とは英語。Kさんとは通訳付で話をします。 |
絵のモデル |
昨日の日曜日にはKさんのところに水墨画の先生が来ていて、私はその先生の高校生の息子さんの絵のモデルになりました。この先生は温さんといって、50歳台の眼光鋭い偉丈夫といった雰囲気の魅力的な人です。作品展のパンフレットを見せてもらいましたが、山水画、人物画の大家らしく、中国の美術館にたくさんの絵が所蔵されています。とても繊細な美しい絵です。イギリスで画集が発行され、日本でも買えるそうですが、中国にはないそうです。 息子さんは小学校3年から絵の勉強を始め、美大に行く予定なので、そのためにいろいろな人の絵を描かせてもらっているということです。 私は典型的な日本人の顔だそうで、前の週に彼らと廊下ですれ違ったときに、ぜひ描きたいと思ったそうです。浮世絵の顔をしているそうで、ピャオリャン、ピャオリャン(奇麗の意)と言われてモデルになりましたが、出来上がった絵は似てはいますが、ピャオリャンではありませんでした。でもこれは彼の責任ではありません。 |
留学生宿舎の日本人たち |
私がKさんと話すときは、日本人留学生の中島さんという20歳のとてもかわいいお嬢さんが通訳してくれます。彼女は短大を卒業してから中国に来てまだ3ヵ月ですが、日本で毎日1年間中国語を勉強していたので、中国語はとても上手です。中国語をマスターしてから、警察学校に行き、関西国際空港で、中国語のできる警察官になりたいそうです。 彼女のお姉さんも大学で法律を勉強中ですが1年休学して天津で中国語を勉強しています。将来は中国で弁護士になりたいそうです。 その外におもしろい留学生と友達になりました。谷口君、彼は北海道教育大学の修士課程で、魏氏南北朝の詩文を研究しています。日本語教育にも関心があり、私の学生が部屋に来たときには、日本語で話してくれます。 山田さん、彼女も同じ大学で中学校、高等学校の技術科の教師になるための勉強をしています。この大学では中国語と農業技術を学んでいます。いま中、高の技術科には女性教師がいないので、彼女が大学を卒業して技術科の教師になると日本初ということになるそうです。とてもほっそりした北海道美人です。 樋口君は岐阜出身で、もう中国に1年半。私の学生の話によると中国語のうまさはかなりのものらしい。私の引っ越し当日手伝ってくれた博士班の学生が彼を捕まえて、何か問題があればこの人に頼みなさいと引っ張ってきてくれました。いろいろ食べ物に詳しく、昨日は朝鮮料理の店に連れていってくれました。彼はちょっと普通のルートからはずれたおもしろい男の子です。等々こちらに移ってからまだ2週間ですが、いろいろおもしろい日々を過ごしています。 |
快適な生活 |
長春は北のほうにあるせいか3:00過ぎにはもう東の空が白み始めます。こちらでは、学校は朝7:30スタートです。時差が1時間ですから日本時間では8:30からというわけで早すぎて辛いということはありません。毎朝6:00から学生のための朝の音楽が流れ、自然に起きる習慣ができてしまいました。とても健康的な生活です。 宿舎から学校まで歩いて5分、自転車で2分。通勤ラッシュの日本に戻ってから適応できるか心配です(実際戻ってから日本の生活に順応するまで半年かかりました。)。 全く家事をしないでいい生活。仕事と自分だけのために流れる時間。家族と話す楽しさがないのは寂しいですが、結婚以来初めてのぜいたくな日々です。初めの3ヵ月間は早く帰りたいなどと思う日もありましたが、ようやく毎日を楽しむゆとりができてきました。 |
役者ぞろいの学生たち |
授業をするのは本当に楽しい。学生も十分会話できるようになり、日本語学校ではしなかった新しい方法を試してみたり、試験問題を工夫したり、すべての時間を仕事にだけ使える楽しさはまた格別です。こちらの学生は文法項目の導入、練習には余り時間がかかりません。複雑な文型もすぐ暗記してしまいますから、応用練習に力を入れることができます。場面を設定した上でのロールプレイが大好きです。各課の文型を使ったゲームなども、実に生き生きと楽しんでやります。大体欧米人と違って中国人は控えめだという印象を持っていましたが、とんでもありません。発想も豊かだし、初めの予想よりはるかに効果的な授業ができるのに驚きます。学生の発話はテープに入れて、あとでみんなで聞きながらフィードバックします。私のクラスは役者ぞろいで、よくまああれだけの設定でこんなにおもしろく会話を膨らませられると感心するほどです。テープに入れるためみんなが笑いをこらえるのに必死という場面もあります。これも長年経験を積んだ大人だからできるのでしょう。 |
歴史知識クラス対抗試合 |
6月6日には予備学校の近現代史の授業の一貫として行われる歴史知識クラス対抗試合があり、私たち日本人教師も1人づつの通訳付きで招待されました。 日本へ行く博士班の学生は中国近現代史を必ず学ばなければなりません。これによって、愛国心を喚起し、正しい歴史観に基づいた中国人としての誇りを持たせ、資本主義に汚染されないようにというのが目的だろうと思われます。各クラスから5人歴史に強い学生が出場。5人で考えます。全部で120問。 三択問題、早押し、問題の紙を引いてそれに答えるなど様々な方法で競い、結局1班が僅差で優勝。わが4班は4位という成績でした。 そのあとはディベートです。各クラスから2人づつ、論客が出て、10人が是と非の2つのグループに別れ、阿片戦争後30年に亘って行われた洋務運動についての論戦が展開されました。洋務運動というのは日本でいうと明治時代に始まった、外国のものを取り入れ、富国強兵を図ろうという政策に似たもので、結果は理想通りには行かなかったが、現在でもその是か非かが、学者の間でも問われているというものです。 私のクラスからは清華大学の鄭さん、復丹大学の文さんと言う22才と28才の若手が出ました。この大学は日本で言えば東大と京大という感じの大学だそうで、その頭の回転の速さと話すスピードの早さには圧倒されました。日本語もよくできますが、母国語を使ったときの印象とずいぶん違います。はっきり言ってカッコいい、ほかのクラスの学生も教室で見るのとはずいぶん違って、とても凛々しい。30分の論戦のあと、審査が終わり結果は、最優秀賞に鄭さんが選ばれました。彼は私の担当クラスの学生です。彼は精華大学であまりに優秀だったため、修士課程を飛び級して博士課程に入ったという経歴で、博士班で最も若い22歳です。来日後は東大の工学研究科に進み、東大時代にヨーロッパへ研究発表にいったり、今はアメリカのMITで勉強しているそうです。学期の最後に授業について学生たちにアンケートをとったとき、彼からは私の授業は面白く、文法の説明が正確で、よくわかるといううれしいコメントをもらいました。優秀な彼からのコメントで、印象によく残っています。彼の優勝で、わが4班はやっと溜飲を下げました。 しかしこういう場所でのみんなの盛り上がり方はすごい。中国はもっと厳めしくて、不自由なところかと思っていましたが、日本より、学生と先生の関係が自由で親しみがあって明るいのに驚きます。これは運動会のときにも感じたのですが。 |
浄月潭へのピクニック |
先先週第2報での予告通り、5月28日、浄月潭へピクニックに行ってきました。博士班、ウイグル班、総勢200人以上。バス4台に分乗して40分。浄月潭は中国最大の人造森林の中にある湖です。潭と言うのは、池より大きく、湖より小さいものを指すらしいのですが、遊覧船、モーターボートなどが行き来して、私の目には大きい湖に映りました。中国でおもしろいと思うのは、こういう学校行事に事務や職員の人も参加して、その上、奥さんや子供までついてくるのです。私たち日本人の目からすると公私混同に見えますが、不思議でもなんでも無い。費用は学校もち。学校でも先生たちは皆共働きなので、自分が仕事があって出勤していても、子供の学校や、保育園が休みのときは、学校に子供を連れてきて遊ばせている。授業がないときは、すぐ家に帰って、必要以外はできるだけ出てこない。大学の先生が特に自由なのでしょう。一応ルールがあるようなので、私たちも連絡にさほどの不自由は感じないのですが。 私たちは中国にいても日本人の悲しい習性で、朝7:15出勤、夕方5:30の最終送迎バスの時間まで学校にいます。残業をするときも多いです。 今思い出しましたが、この時間については笑ってしまう話があります。2月の終わりに長春に来て、初めの三週間、私たちは日本での感覚で夕方5:20にバスを頼んでいました。それだけ忙しかったこともあるのですが、5:30からが宿舎の夕食時間だからというのが単なる理由でした。ある日、中国人の先生が私たちのところへ来て、実は粱さん(私たちの専属の送迎バスの運転手です)は子供を毎日5:00に学校へ迎えに行かなくてはならない。ついては、帰りの時間をもう少し早くしてもらえないかと頼みにこられたのです。その時私たちは初めて気がつきました。朝7:15分に出勤して、夕方5:20まで。何と、10時間勤務をしていたことに。その上残業、宿舎にかえってからもあしたの授業準備。うっかりほんとに1日16時間労働です。皆で大笑いをしてしまいました。今でも中国人の先生と話すとこの話が出ます。今年の日本人は異常だと。私たちだれ一人その超過勤務に気がつかなかったのです。最近でも6:00ごろまで学校にいることが多いのですが、これは宿舎に帰っても参考書がなくて授業準備がしにくいからというのが理由です。 とにかく今年の先生はみんな熱心です。 また脱線してしまいましたが、浄月潭のピクニックに話を戻します。 もちろん若手ばかりが出場したのですが、優勝クラスはほとんど原文に忠実なのです。とてもおもしろい文に変わっていたクラスもありますが、そういうのを聞くとほっとします。 次は、賞品の鶏肉の丸焼きを争うリレー。山の上と山の下に分かれて駆け上り組と駆け下り組のリレーです。上る人も下る人も大変な急坂でとても危険でしたが、私のクラスでは唐軍(彼は京都大学の化学研究科博士課程で博士号をとり、その後筑波大学に移り、現在は日本の製薬会社の研究室で仕事をしています。彼の話では京都大学の彼の指導教官が、ビジネスに長けていたから自分は運がよかったといっていますが、彼の能力もたいしたものです。彼の日本語の上達振りには舌を巻きます。中国語でもドナルドダックとあだ名がつくほどおしゃべりだそうですが、日本語の正確さと話すスピードの速さは、その辺の日本人がはだしで逃げ出すほどです。今でもよく連絡をくれます。)と言う学生が、最後に湖に飛び込みそうな勢いでスパートをかけて、優勝し、鶏の丸焼きを手中に収めました。 私たちのクラスには、長春地質学院の先生がいるので、彼のルートで浄月潭にある地質学院の分校の食堂で昼食をとることができました。彼らは飲むのが大すきで、早速宴会が始まり、飲めや歌えの大騒ぎでとても楽しく過ごしましたが、私がお酒に強いことをこんなに感謝したことはありません。ビールを何度も飲み干すとみんなは大喜びします。実はこのとき朝鮮族のお医者さんの学生がいて、奥さんが瀋陽から来ていたのです。その奥さんの歓迎のために1杯のみ、またこの地質学院の王さん(この人も京都大学の地質学研究科に進み、博士号をとった後、現在金沢大学で教鞭をとっています。)の奥さんのために1杯飲むと私の株はずいぶん上がりました。中国のビールは軽くて飲みやすく3〜4本飲んでも大丈夫なことが分かりました。また優勝者の唐軍さんにはニワトリの足が供され、1層盛り上がりました。そんなこんなで楽しい日々と仕事の苛酷な日々が、次々と続き、他のメンバーたちも精神が高揚しすぎてちょっと危ない雰囲気になっています。教員室での会話も果てしなくハイになり、笑いが絶えません。鬱になる人がいないだけましだねといいながら、私と団長はちょっと心配しています。みんな疲れすぎています。 |
日本語教育のメンバー紹介 |
今日は6月15日ようやく期末試験の完成原稿が出来上がり、あしたは私の研究日、ゆっくり休もうと思います。6月19日20日と期末テストが行われます。 息子さんは20才、帰国子女の例に漏れずちょっと普通の生き方からはずれて、現在モトクロスのレースのために、ヨーロッパにいるという。 K先生は絵と随筆を書くのが趣味。英語、イタリア語が堪能。とても博学の素敵な方です。 同じ大学の非常勤講師Mさん33才、彼女はLL専門で本も出している、さっぱりさばさば、おもしろい方です。ご主人はとても素敵な中国系マレーシア人、成田空港まで、Mさんを送りに来て、その上長春までゴールデンウィークに遊びに来ました。 某国立大学の非常勤講師Sさん44才、日本語教育学専門、外国放浪が趣味。唯一男性で明るい、信じられないほど心のきれいな暖かいさっぱりした方、結婚してまだ3年、奥さんは小学校の先生で、子供さんはまだ1才半。夏休みに子供を連れて奥さんが来るのを指折り数えて待っておられます。 交流基金からは副団長の私のほかに2名、当時R大学非常勤講師0さん、津田塾英文科卒、お茶の水大修士、26才秀才ですがとても謙虚でかわいらしいお嬢さん。たまに大ポカをするので要注意人物ではありますが、落ち込みながらも明るさを失わないけなげなまじめ人間。時々女子大出身らしく息をのむほどの過激発言をして、皆を大笑いさせます。 国際交流基金日本語国際センター専門補助員Oさん25才、早大国文卒 短歌作家として今年デビュー、剣道が趣味。教務の補助を実にきめ細かくしてくれる、気配りの人。中国に留学したこともあって、中国語ができる。控えめで暖かい、草刈り隊の経験者。(彼女は角川短歌賞を獲得、現在は、日本語を教えながら、次々と短歌の本を出しています。) この4ヵ月、はじめに持った印象が変わる事なく本当にいいメンバーでした。私たち6人は戦友といえます。本当にこんなに充実して大変だった4ヵ月はどの人にとってもきっと忘れられない思い出になるでしょう。全く初めて会った人ばかりです。団長の包容力、唯一男性Sさんの明るいやさしさ、謙虚でかわいらしい魅力的な二人。さっぱりさばさば、気持ちのいいコンピューターの達人Mさん。今回だけでなく私は本当に人に恵まれていると思います。別れを前にしてちょっとセンチになってしまいました。 期末試験が終わった夏休み、大連ハルピン旅行ではまたおもしろい発見があるでしょう。ではこの辺で長春便り第三報をお送りします。長々と書きましたが。お付き合いありがとうございました。 |