友人の過去ログ

ryuchanの過去ログシリーズ1

埋もれさせるには惜しいおしゃべり、保存版です。

 登場人物

ryuchan
yoshikomushiさん

ままさん
ゆうこ

アラブ・ガザの話    ryuchanの抱腹絶倒大阪人   

ryuchanの人生を変えた事件

ガザの話
920.ガザの話 その1  
名前:ryuchan日付:3月27日(土) 21時9分

「歴史を書くと長くなるので、先に「今」を書くと、イスラエルはユダヤ教徒の国で、ハリネズミのような防衛軍備の国です。
国の回りを全て、イスラム系に囲まれ、国土も幅がなく地中海に面しており、敵は「海へ追い落とせ」と公言していましたから、国民の国を守ると言う意識は、我々の想像を超えます。
男女区別なく、徴兵があって、若い内に「敵に勝つ(人を殺す)」訓練を叩き込まれます。
世界一優秀と言われる諜報機関を持ち、世界中に散らばっていた優秀な頭脳を集め、米国のユダヤ系に代表されるお金も持った国です。
たぶん世界一、若者が世界に旅する人達で、世界中どこに行っても、旅人がいます。
長髪やドレッドヘアーのヒッピースタイルで、タイのビーチに居るイスラエルの若者でも、「国を守る」と言う議論なら、一歩も後へ引かない人達だと思っています。
なにせ第4次中東中東戦争でも、4,5カ国の敵を、あっと言う間に降参させました。
中東で、どんな国が束になっても(アラブも弱すぎですが)、絶対敵わない、世界有数の軍備国家です。
それは悲しい民の歴史故だと思いますが、それ故の被害妄想もあると思います。
その辣腕な国が、世界で有数にお金も国土もないパレスチナの人を殴る蹴るしています。
それは相手が「敵」であるから正当であるとの意識ですが、本来欧米や日本などがとなえているお題目の人道主義から言えば、徹底した弾圧です。
もともと米国で勢力を持っているユダヤ系からの援助で成り立っているので、米国政府も支援しています。

一方アラブの大義は、そのイスラエルの抑圧に抗することです。
そのお題目で、またアラブの施政者や権力者は力を正当化します。
またアラブでは、米国がイスラエルの後ろにいると敵視しています。

米国はその正当性を認めず、アラブの権力者を圧政者として攻撃しています。

しかし、アラブに住んでいた俺から見ると、どうでもいいけど、誰も本当の意味で、誰も困っているパレスチナの人のことなど考えてないじゃん!と思いました。
他のアラブも、然りです。

その人道を遥かに逸したイスラエルの行為を、世界中の心ある人達は、許しがたいと抗議しています。

そんな中、イラク戦争が始まりました。
米国は、イラクの民主主義を!を口実にしていますし、日本も「復興の為」と言っています。

その最中!
見据えたように、イスラエルは、その哀れなパレスティアンの一派の精神的指導者であり、聖職者であり、車椅子生活者のヤシン師を殺害しました。
そして「自爆テロの指導者、ビン・ラディンのような奴」と米国の理論を借用して正当化しています。

確かに、自爆テロを行っている集団の精神的指導者ではありますが、その集団は、世界で誰も助けない、困っている人達を援助する組織でもあります。
時代錯誤の狂信的ビン・ラディンとは訳が違います。
武器は持ちますが、抑圧にへとへとになって戦っている集団の、しかも精神的指導者です。

米国や日本のお題目を、いっぺんに覆すほどのインパクトです。

その抑圧者イスラエル=米国=日本です。

多分欧州勢は、一斉に非難に走るでしょう。
それが米国にはできない。

日本は?
小泉さん解っているのでしょうか?
イラクの人民の為に出かけた自衛隊の方々が、圧政者イスラエル側の人間にされてしまう危険があります。

混乱に混乱が起きて、米国ではブッシュ路線を更に走らざるを得ないかも知れません。

最後に書きますが、イスラエルは、これまた世界一の外交術を持った国家です。


921.Re: ガザの話 その2
名前:ryuchan    日付:3月27日(土) 21時15分
うろ覚えのまま、聖書の出エジプト紀から始めます。
エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、モーゼに従ってエジプトから逃げ出し、中東を彷徨ううちに、神から約束された土地、パレスティナにたどり着いたそうです。
そこでは、時にはバビロンに滅ばされ捕囚とされて散らばったり、時にはシバの女王も朝貢するような栄華を誇った王国ができたりしていました。
その後、ローマ帝国によって滅ぼされて、また世界中に散らばったと言われています。
欧州各地に離散し、国を持たない民族でした。
国と言うバックボーンがないので、頼れる力は金であり、自然と商業や金融に長けた人が多かったようです。
欧州では、例えば「ベニスの商人」の金貸しに象徴される差別の対象の存在でした。
歴史上、何度も虐殺の対象になり、十字軍の時も、清教徒革命の時も、虐殺されていました。
日本で言えば、在日の方に近い存在だと思いますが、在日の方は親の祖国が存在している分、まだましだと思います。
(勿論、在日の方より、酷い差別だったと思います)

それこそ軍備を持った祖国と言う裏づけがない弱い存在だったため、人一倍苦労し、勉強して各界に優秀な人材を沢山輩出しました。
しかし欧州の歴史を紐解くと、彼らの悲惨な物語はいっぱい存在しています。

第一次世界大戦でも、国ごとに分かれた戦いの中、国を持たないイスラエルの民は人一倍苦労しています。
そんな中、各地に散らばったイスラエルの民の中で、自分の国を持とうとする運動が起こりました。
神がイスラエルの民に約束された地、シオンの山から見下ろせるパレシティナ地方に戻れ!あそここそが我々の国だ!と言う運動で「シオニズム運動」と呼ばれました。
そして、英国とフランスは、イスラエルの民、ユダヤ人から戦費を調達する為に、彼らの団体とある約束をしました。
パレスティナをトルコ帝国から開放したら、イスラエルの民に返すと言う約束です。
しかし、そこには既にアラブ人が住んでいましたし、狡猾な英国とフランスは、同じ約束をアラブにもしていて、約束は守られないまま第二次世界大戦になりました。

第1次世界大戦の敗戦で、ドイツ経済は壊滅的に破壊され、そこに世界恐慌。
ジャガイモを買うにも、リュックいっぱいの紙幣が必要なほどのインフレがドイツを襲い、ドイツ国民は夢も希望も無くし、どんぞこの地獄の中で、ヒットラーに救いを見出しました。
そしてご存知のように、イスラエルの民は、欧州に寄生する不浄な存在とされ、大虐殺にあった訳です。

そして戦後、イスラエルの民は、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと、パレスティナに建国を断行しました。
次から次へと、世界中で疲れ果てたイスラエルの民は、神が自分たちに約束してくれた地へ殺到したのです。

しかしそこには、同じアラブでも温厚な農耕民族のパレスティナ人が既に住んでいました。
パレスティナ人にしてみれば、それこそ大きな迷惑です。
自分たちも、先祖伝来の土地で生きてきたのに、いきなりイスラエルの民と称する人達が「我々の祖国」として殺到してきたのですから、たまりません。
まるでアイヌの方々が、「カムイ・フジ(火の神)は我々の物だ!」と一挙して富士山麓に集まって、その土地にいる人を追い出すのと同じです。

しかし近世国家を経てない農耕民族のパレスティナ人と、欧州で育ってきて、武器もあるイスラエルの民では戦いになりません。
一方的に追い出されたパレスティナ人たち。
それこそ食べ物もなく水もない難民生活を余儀なくされ、悲惨な民になってしまいました。
ゼロサム世界よろしく、アウシュビッツから生還した人達が、別の流浪の民を作ったのです。
危機感を抱いた他のアラブも、イスラエルに戦いを挑みましたが、てんで歯が立ちません。
ユダヤ系市民の圧力で、米国もイスラエルに味方しました。

そして他のアラブ国家で、難民生活を余儀なくされていたパレスティナ人の中にも、組織組織立ってイスラエルから国を奪い取る運動が起こりました(当たり前ですよね)。
そのリーダーが、あのアラファトのとっつあんです。

さてさて、どちらも悲惨です。


922.Re: ガザの話 その3
名前:ryuchan    日付:3月27日(土) 21時24分
俺が中近東に住んでいたとき、丁度イスラエルのレバノン侵攻がありました。
中東のパリと呼ばれた美しい街、ベイルートのある国レバノンも、幾度かの中東戦争に巻き込まれ疲労していました。
そこにはパレスチナを追われた人が、難民としていっぱいキャンプに住んでいて、そこからイスラエルに戦いを挑んでいました。
それに対するため、イスラエルはレバノンに侵攻したのです。

俺が丁度、サウジのリヤドにいた時です。
出稼ぎで働きに来ていたレバノン人たちと友達だったので、一緒にテレビを見ていました。TVの中では、イスラエルの戦闘機が美しいベイルートの街を自在に飛び回り、ビルに隠れた民兵を、ビルごと吹き飛ばしていました。

それを泣きながら見ていたレバノン人の友人が、一言、信じられない言葉を発しました。
『あのパレスチナ人め!』です。
これには驚きました。同じアラブ人で、アラブの大義、パレスチナ解放のはずなのに、、、、???
彼らの主張は、こうでした。
「自分の土地を追い出され、行く所がなく、レバノンに来たのは仕方が無い。しかし戦争まで持ってくるなんて!」でした。
そして考えたら、そうパレスチナ人は、どこでも歓迎されてなかったのです。
隣国のヨルダンは、人口の半分がパレスチナ人でしたが、内乱が起き、相当なパレスチナ人が殺されました。
サウジでは、難民さえ認めていません。
皆、アラブの大義とか言いながら、イスラエルとの戦いの間に彼らを置き、同じアラブ人も差別していたのです。
(変な話ですが、米国こそ相当数の難民を受け入れました)

未だにパレスチナ人には国家がありません。
あまりのイスラエルの強引さに、国連さえ非難決議や、いろいろな決議をしましたが、イスラエルは一切認めていません。
そしてパレスチナ人は、国も無く、金も無く、職も無く、難民生活を余儀なくされています。
近代兵器を備えたイスラエル軍に、貧弱な武器でしかないのですから、まともな戦いなどできるはずもありません。
そこで彼らの中から、自爆テロと呼ばれる、身を捨てた戦いが始まりました。
自爆テロに賛成はしません。
しかし、他にどのような戦い方があるのか?俺は答えに窮します。

このようにパレスチナ解放運動は、あの狂信時代錯誤のアルカイーダとはまったく次元の違う話なんです。

あの911テロの時、喜び勇み空に発砲するパレスチナ人がCNNで流れましたが、あれは後で92年の映像だと発覚しました。

金に窮するPLOを金で支えていたのは、米国と日本です。
アラファトのおっさんが、自分の生活費を出してくれている米国にテロなどする訳がありませんし、喜ぶ訳もありません。
あの映像こそ、世界中のマスコミが、イスラエルよりの報道をする証明のようなもんです。
青くなったアラファトとっつあん、献血パフォーマンスまでしていました。

そしてイスラエルは、それらのテロとパレスチナの逃げ場のないテロをイコールにする作戦にでました。

難民地区を囲みこむような、あの高い無機質の塀。
俺はあれを見て、欧州でゲットーと呼ぶ、ユダヤ人居住区をつくり、高い塀で囲んだのと同じ物を見た気がしました。

イスラエルの民の、民族としてのカルマを感じてしまいました。

とにかく、俺がなぜこんな事を書き出したかと言うと、我が日本の自衛隊です。

イスラエルは、「俺たち同じ、反テロ組だよねぇ〜!」と言ってます。
「みなさんが戦っているテロ!ビンラディンもパレスチナのアラファトやヤシンも同じなんですよぉ〜!」

大義とはなんなのか?

サマワの困っている人達を助けるんだと、純粋な気持ちで出て行った自衛隊員。

それらが、あの思惑に巻き込まれていくのを、黙って見逃すことはできません。


923.ヤシン氏殺害
名前:ゆうこ    日付:3月28日(日) 10時9分
日曜日の「サンデーモーニング」でもこの問題について放送されていました。あの地域についてはいままでは薄ぼんやりした知識しかなく実感が持てませんでしたが、ryuchanの話を読んで、とても身近に感じました。これからの中東がどう動いていくのか目が離せません。


924.Re: ガザの話 その1
名前:ryuchan    日付:3月28日(日) 16時50分

そうなんですよね!
昔から、遠くにあるようで、実は密接した関係があるのに、無視されてきた感じです。

今の世界をどう捉えるかは、あそこ抜きには考えられません。

そして、また下に続き書かせて頂きます。

俺の豪州人のパートナーの父親は、マレー戦線で日本と戦いました。
米国の友人の父親も、欧州で戦い、前妻の叔父は、日本兵に船を沈められ、戦死しました。

俺の親父は、中国戦線で戦い、目玉を弾が貫通して、一生涯片目で過ごしました。
所謂傷痍軍人でしたが、俺たち子供の目から見て、なんら泣き言も一つ言わず、普通の生活を送りました。

まさか50年後、息子同士が仲良く人生を語ったり、神の事を話すようになるとは、思いもよらなかったでしょう。

以前、イスラエル人の女性とお付き合いしたことがあります。
「いい奴だなぁ〜」と思ったイスラエル人もいます。
タイ人にも、台湾人にも友人がいます。

もし日本と友人の国が戦争になれば、俺は友人たちと戦うのだろうか?

戦争のことを思うと、なんと愚かな行為だろうと思います。
戦い死んで行くのは、なんら俺たちと変わらぬ、一般の人達です。

なにゆえ、俺たち人間は戦い続けるのでしょうか?

パレスチナの事を考えると、憎しみが憎しみを呼んで、お互いに戦い続けている。
でも対面して、戦っている人と人は、きっと知らない人達で、その人に恨みも憎しみもないのだと思うと、何のために戦わなければいけないのか、こころが痛みます。

実はイスラエルにも、戦う事を拒否した軍人もいます。

何かが変わらなければ、きっと世界は滅んでしまうのでしょうね。


925.Re: ガザの話 
名前:ゆうこ    日付:3月29日(月) 22時56分
そうですね、何かが変わらなければ、この戦いは果てしなく繰り返されるのですね。でもどうすれば変われるのでしょうか。

アメリカには600万人のユダヤ人がいて、経済的にも政治的にもかなりの力を持っているそうですね。世界中に散らばる金を十分持ったユダヤ人がイスラエルを後押ししている。領土問題が絡み、宗教の違うもの同士互いに理解しあうのは絶望的に思われます。


926.Re: ガザの話 その1
名前:yoshikomushi    日付:3月29日(月) 23時42分
私の理解では、今泥沼にあるイスラエルとアラブの闘争の発端は100年前の英国の二枚舌の約束にあると思っています。
2千年も前のことを持ち出して、あの時暮していた人たちの領土を奪い取ったのは、シオニズムと言う正義のためでもなんでもなく、英国がフランスと利益を分かち合うための攻略だったのだと思います。

ヨーロッパとアメリカという西洋諸国は自分たちが一番偉いと思っています。そして、裁く権利も自分たちにあると思っています。過去に自分たちがしたことも忘れて。

現実にはヨーロッパとアメリカによって、この世界は支配されています。これは彼らが正しいからではなく、単に力関係。経済力政治力が勝っているからに過ぎないのですが、ここに気づいてくれないかぎり、何も解決しないのではないかしら。

世界は広いし、物の考え方も違います。自分の理解を超える考え方を切り捨てて自分たちの考えだけが正義だと思っているうちは歩み寄れないでしょう。でも、自分の理解を超える考え方を認めるのもこれまた至難の業。

かく言う私もイスラム教の考え方にはついていけない部分がたくさんあります。

http://www2.odn.ne.jp/yoshiko-aroma


927.Re: ガザの話 その1
名前:ryuchan    日付:3月30日(火) 2時45分

>yoshikomushiさん

はじめまして。

おっしゃる通りですね!

その二枚舌ですが、その2にも書きましたが、英仏とも、なんとアラブ側にも同じような約束してるんですよね。

先日、砂漠の舞う白い羽(だったかな?)って言うビデオ見たのですが、モロッコに旅立つ英国兵士に神父が「神は正しい」ってやってるんですよね(笑)。
ないが正しいだ!って突っ込み入れちゃいました。
あんな理論で、日本まで来て、薩英戦争までやったんだなぁと思いました。

ただ英仏が、あのユダヤの民を詐欺したのも、ユダヤの民が置かれた状況があったからこそとだとも思います。

俺は昔、欧州を「血で塗られた土地」と評してました。
ましてや彼らが世界史に躍り出たのも、産業革命以降。
何が西洋文明だと思ってました。

しかし、この頃思うのですが、それは偶々この時期西洋だっただけで、常に世界は力関係で正義が決められているのでは?と思います。

近代以前を見てみると、中国しかり、アラブしかり、力ある者が弱きものを虐待する意味では、同じなのではと思います。


928.ブッシュ
名前:ゆうこ    日付:3月31日(水) 10時39分
領土問題に、宗教、民族の違いという三重苦で、理解しあうなんて夢のまた夢でしょうね。 一般人は平和を望んでいるんでしょうけど。イスラエルとアメリカははテロ撲滅をうたい文句に、相手をつぶしてしまおうと思っているんだろうし。

でも北朝鮮は温存、きっかけが掴めないだけでしょうが。
ブッシュが再選されなかったら、アメリカは変わるんでしょうか。
調査ではケリー民主党候補が支持率50パーセント、ブッシュは44パーセントという結果が出ているようだけど。
ヤシン氏殺害は、支持率低下に影響があるでしょうね。


929.Re: ガザの話 その1
名前:ryuchan    日付:4月1日(木) 9時25分

戦争だってお金が掛かるって意味では、いかに戦争好きでも、そう簡単にはできないんでしょうね。

やはり金の問題が大きいんでしょう。

民主主義なんて名詞使うなら、イラクは北よりはましだったと思います。


ryuchanの抱腹絶倒大阪人
1425.だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。  
名前:ryuchan    日付:10月4日(月) 1時41分
>と、ここまで書いて思い出しましたが、ryuchanの大阪の話し、断然面白かったのに、消えちゃってる。

大阪の面白い話はいっぱいあるんです。
関西の客と付き合っていた頃は、毎週のように行ってました。
行動は、北のホテルとその周りでしたが、それでも面白い話はいっぱいいあります。

でも、俺のネタになっている話しだから、悪いかなって思っちゃいます。

とにかく、他の日本の各地にはない文化ですよね。
殆どの藩が、武士階級と町民の世界を300年近く通過してきた文化なのに、大阪って町で武士はあまりいなかったそうですね?
偉大なる町人の文化を感じます。

そう言えば、土曜日の夜は、俺も永坂更科の前を通ったんですよ。
女房と別々の車だったんで、駐車しづらくて、高輪のインドカリーの店に行きました。
4歳の息子が、カレー食べると言うので、食べさせたのですが、がんばって食べてました(笑)


1429.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:ゆうこ    日付:10月4日(月) 22時42分
ここに来てる人で純粋大阪人はいないと思うけど。
阪神間人や神戸人、奈良人、京都人ですよね。

大阪の人の話はどんなにかっこよい話でも、最後に落ちが必ずついてるので笑っちゃいます。落ちは難しいです。

大阪は上下の区別がない、みんな平等っていう感じがしますね。
だから敬語が発達しなかった。丁寧語はありますけど。
今日はうちのお客さんでも明日は立場が逆転する可能性を常にはらんでいるという、町人文化ですよね。

東京は武家の文化、上下関係がはっきりしている。
だから、サービス業でも、きちんとした敬語が使われるんですね。
サービスを受ける側としてはとても気持ちがいい。

東京から転勤で大阪に来たばかりの友達が、大阪駅で電車を待っていたら、一人の男性が「駅員の案内が悪い」といって食って掛かったそうです。その言葉が、「極道の妻たち」の大阪弁と一緒だったから、怖くて気絶しそうになったとか。

大阪に縁のなかった人が初めて聞いたら、びっくりしますよね。


1433.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:yoshikomushi    日付:10月6日(水) 0時13分
ryuchan
ほんとね、あの話、面白かったのに、どうして消しちゃったの?もしかして、私の書き込みで怒った?
なんてことはないよね。
大阪人だけでなく、関西人はみんな、落ちをつけるために生きてるみたいなもんよ。
落ちのない話しをしてしまった後はしばらく落ち込むわ。なんてしゃれじゃないよ。ほんまに心底落ち込むんだから。

日記書いててもしっかり落ちがついたときは、落ち着くわ。

http://www2.odn.ne.jp/yoshiko-aroma


1434.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:ryuchan    日付:10月6日(水) 2時0分

弊社の関西出身の社員が、「久々の大ネタ」と笑い転げる話があります。

当時私は独身で、週に何度も北の新地の高級クラブに通ってました(34歳くらい)。
当時は、今よりお金があって、恥ずかしいほど勘違いして遊んでました。

それが本当に美人の担当の娘に「ryuchanええか、あんたは新地で一番騙されるタイプや。私がこの娘やったらいいでぇと言うまで、誰にもチョッカイだしちゃいけんよ」と釘を刺されていました。
それで2年も、彼女の言う「ここ娘だったらいいでぇ」を待ち続けて遊んでいました。
その娘自身は、郷里からヤクザもんの彼氏と出てきてて、良く揉めて喧嘩してました。
それで、俺も間に入ったりとか、いろいろあったのですが、ついに彼氏は足を洗い、結婚して郷里に戻ることになりました。

二人を前に「良かったなぁ」とかお祝いを述べ、「ところで俺はどうなったんよ?ずっと待ってんだけど。」言ったら、一言「おらん!」
「お前それはないだろう!お前を信じて2年待ったんだぞ」と抗議したら

『だから言ったろ。あんなは新地で一番騙される男や』、、、、、でした。

『お、お前だったのかあぁぁー!!!』で爆笑でした。

関西系社員は、慰めるばかりか、「久しぶりの大ネタですううう!」で、大笑いしてました。

今でも使うネタです。


1435.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:ryuchan    日付:10月6日(水) 2時16分

俺は、世界のある種の地域は結構周っていて、どんな時でも、道路で襲われるとは考えておりませんでした。
(なにぜヒゲ面で、体も大きいですから。

ところがある日、通天閣の近くの動物園の側を歩いていたら、ホームレスの方が、じっと後ろを付いてくる。
海外でも俺を襲う奴はいないタカを括っていたのですが、初めて後を付けられている。
もう「しゃぁない」と身構えて振り返るため、咥えていた煙草を投げ捨てました。
すると彼は、脱兎の様に駆けて来て、俺の投げ捨てた煙草を拾い上げ、美味しそうに吸い出しました(笑)
なんだよ、煙草が吸いたかったんだと、新しいの上げました。

また道路で、靴の片方を売っている方がいたので、「一足でどうすんのよ?」と聞いたら、別の種類の片方を出して「合うと思うで」でした(笑)

極めつけは、小さなビニール袋に、タンポポの花が入れて、5円の値札。

不思議に思って「おっさん、これなぁに?」と聞いたら、『タンポポティーや!』の答えでした。
思わず悩んだのですが、「おっさん、これ違うと思うぞ」と言ったら

『なんでや!この花を急須に入れて飲むんや!立派なタンポポティーや!』と怒られました。
「いや、違うとおもうぞ、、、、」の声も小さくなってきて、、(爆)

変な街だなぁと思いました。


1437.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:yoshikomushi    日付:10月6日(水) 23時24分
ゆうこさん、
大変やね、毎年のことだと思うけど、やっぱり毎年、大変なんや。アロマでリフレッシュしてください。あごはどないなったん?

ryuchan
今度、新地に連れてってよ。私にぴったりの乗りやんか、もちろん、タンポポティーのことよ。
何でも売り物の始まりはこんなもんやよ。そのおっちゃん、原点に返ってるねぇ。私なんか、そんなおっちゃん見つけたら、レンゲなんか摘んできて、横に並んで売ってたりして。

http://www2.odn.ne.jp/yoshiko-aroma


1438.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:ryuchan    日付:10月7日(木) 3時1分

だって、ガーディニングの美しい花や、世界との日本の繋ぎと高尚な方々に、北の新地ならともかく、飛田新地とか薬売りの話しじゃ、怒られるかな?と怖いじゃないですか。

俺、本当に大阪好きなんです。
でも時々、怒られるんですよ、大阪の方に。
よく間違って、「それじゃ俺、日本に帰るから」で、「ここも日本じゃぁ!」です。

本当に怒らないなら、まだ書きます。

>yoshikomushiさん

俺は大阪の方に、「関東もんにしとくには惜しい」と言われるほど、常にオチは条件反射で染込んでます。

それでも、やはりまがい物です。
一度友人に、ミナミのクラブに連れて行かれました。
ホステスさんがベロベロに酔ってる。
少し話をしたら、「なんや、あんた、関東か?関東弁はノリ悪いなぁ〜」
「いや、俺は東北訛で、東京じゃ馬鹿にされてんの!」
こちらの話はぜんぜん聞かず「だめや!関東もんは、ノリが悪すぎる!」と大声。
「馬鹿かぁ、お前、車だってローからセカンド、それからトップだろ」と反論したら
「トップやあ!ミナミはいきなりトップやあ!エンストしてもトップやあ!」と怒鳴られました(笑)
関東の客あしらいに慣れている俺は、「解ったよ!なんだよ、帰ればいいのか?」と笑っていったら「そうや!帰れ!帰れ!」と囃し立てる。

だんだん俺も乗ってきて、「解ったよ!帰るよ!」と舌巻き大声で捨て台詞、店を飛び出しました。
ここで東京なら、店の店員や、友人が飛び出して来て、「まぁまぁまぁ、、、」となるところ。
そんな俺の筋書きは、ミナミでは通用しませんでした。
誰も、来ない!(笑)

仕方ないから歩いていたら、ようやく出てきた友人が、走って追いかけてきた。
そして笑いながら、「どや?これがミナミや!」

『もう二度と来るかあああ!!!』でした。

十三って
1440.サーティーン  
名前:ryuchan    日付:10月8日(金) 2時4分

俺が初めて海外に旅に出たのは、もう28年前、21才の時でした。

行った先はインドで、その後もタイとかの東南アジアを周り、サウジに駐在したりしてました。
当時は、体重も67K(今は煩悩の数と同じです)で、アジア好きを自認してました。
その後、米国などにも行くようになり、大阪を初めて訪れたのは、30歳の時でした。

既に8カ国くらいは旅していたのに、国内は殆ど田舎と東京しか知りませんでした。

「アジアには、日本にない活気と魅力がある」と今考えると恥ずかしい天狗の時でした。

それで初めて行った大阪で、友人に連れられて行ったのが、その名も、大好きな漫画、ゴルゴ13と似た地名、十三でした(笑)。

生まれ故郷の東北の田舎町と、東京しか知らない俺、、、。

「ここどこ???」と目を丸くしました。

「ア、アジアじゃん!」(当たり前)
目の前に広がる世界は、まさにアジアの繁華街が広がっていました。

連れて行ってくれた友人に、日本もアジアだったんだね!なんてアホ丸出しでお礼を言って、浮かれていました。

ところがそのうち、とあるラブホテルの脇を通ったとき、突然誰かに袖を掴まれました。

「にいちゃん!ええ娘おるでぇー」
はぁ〜????日本で客引きに、しかも漫画で読んだ言葉で誘われるとは、思いもしなかった俺は、不意を疲れました。
「あそんできぃーや!安くするでぇー」と袖を掴んだまま言うのは、これまた絵で書いたようなおばさんでした。

「い、いや、俺はいいよ、急いでんだ」不意を突かれた俺には、それが精一杯の言葉でした。
これが例えば、バンコック(昔の)なら、冷やかしで立ち止まり、いろいろ話して楽しんでから、断れるのですが、なにせ日本とは、田舎と東京のことと勘違いしていた俺、冷静な判断はできませんんでした。

それでも袖を掴んで話さないおばはん。
「なんだあんちゃん、旅行者なぁー。そりゃ良かった、わたしゃ正直もんだからね、本当に若い娘紹介してやる」
「いや、急いでるんだって!」と振り払おうとするのに、おばはん手を離さない。
困って友人に助けを求める目線を送ると、、、送ると、、、ありゃいない!
周りを見ると、ちょっと離れたところで、腕を組んで笑って見てる。

「行かないって!」と無理やり手を離させようとしたら、「いたたたた、にいちゃん手が痛いがな!」と、おばさんそれでも手を離さない(涙)。

しかも少しづつ、ホテルの入り口に近づいている(泣)。

東南アジアの街ならともかく、日本での出来事。

困り果てて、、、、それで諦めました。

「解ったよお!まったく、本当に若いのね?気に入る娘まで、何度も交代させるよ!」
「ええよええよ、本当に若い娘紹介したる」と、おばはんの手から力が抜けた時!

えいっ!とばかり手を振り払い、俺は脱兎のごとく人気の多い、アジアの街角を、走って逃げたのでした。


1441.Re: サーティーン
名前:まま    日付:10月8日(金) 12時39分
そういえば、十三駅で乗り換え電車待ってると。。
いきなり、タイ語やベトナム語で話しかけられるけど。。
私も、大阪人じゃないのかな?


1442.Re: サーティーン
名前:ryuchan    日付:10月8日(金) 16時52分

ままちゃん

お笑い芸人を目指したことがありますか?

大阪で、18歳から30歳までのアンケートで、「一度はお笑い芸人目指したいと思ったことあるか?」で、50%が「はい」だったそうです。
しかもそのうち、10%が「今も目指している」(爆

1439.Re: だって、どうしても茶かしちゃいそうな話しになっちゃう。
名前:ゆうこ    日付:10月7日(木) 23時54分
おもしろい!!
これは保存版ですね。

よしこさんとryuchanなら漫才ができるかも。
よしこさんのおしゃべりも筋金入りだもんね。ww

顎は相変わらず一進一退というところです。
仕事が落ち着いたら、ましになるかも。
ラベンダーは毎日つけてますよ。

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       ryuchanの人生を変えた事件
2539.俺の人生を変えた事件 返信  引用 
名前:ryuchan    日付:3月31日(金) 13時21分
自分では自分を紹介する時に、話を面白くする逸話として、幼稚園中退の事件を話します。

ところが以前、退行催眠セラピーを受けた時、その事件がどれだけ自分に大きかったか思い知りました。

初秋の幼稚園の教室、窓の方を見ると、まるで窓枠が絵の枠となって、その中に校庭の美しい動く絵が入ってました。

誰もいない校庭、お砂場、小さな鉄棒、その脇に立つ木が、なぜか赤茶色に感じ、静かな平安を感じさせる絵に感じました。
なんの木かは分りませんが、あまり大きくも無い、広葉樹でしたが、微風にかすかに静かに揺れ、数枚の枯葉が舞いながら落ちて行く。
なんとも言えない、美しい静かな風景。

俺は輪になって座った椅子から身を乗り出して、その絵を見つめていました。

しかし他の園児と輪になった中心にいた、若い女性の先生からすれば、一人だけ体を後ろに向け、窓の外を見ている困った園児でしかありません。

何度も注意され、先生の方を見るように言われ、皆と一緒に遊ぶ事を強要(俺から見たら)されました。

しかし俺には、そんな事より、その絵の美しさを見ることの方が、はるかに重要でした。
何度注意されても、外を眺め続けていました。

ついに先生は、俺の前に立ち、顔を無理やり正面に向けさせました。
俺は、園児の頭で、激しく抗議しました。
みんな先生と遊びたいのを、俺は邪魔してないじゃないか。
なのになぜ先生は、俺がしたいことを邪魔するのか?
皆はやりたいことをすれば良い、俺もやりたいことがあるのだと、俺に取っては、至極当たり前の理論を一生懸命説明し、また俺を魅了する絵を見続けました。

最後に先生は、俺の耳を強く引っ張り、無理やり顔を正面に向けさせたのです。
俺にはそれは先生の酷い横暴な行動としてしか思えませんでした。
気が付けば、泣きながら先生に殴りかかっていたのです。

ミッション系の厳しい幼稚園だったので、それからが大変で、シスターの所に連行(暴れて抵抗したのですが、なにせ園児でしたから)、お仕置きの暗い部屋に閉じ込められました。

必死で抵抗したけど、女性と言え大人の力。
無理やり押し入れられ、必死で抑えたけど、閉まっていくドア。
部屋が闇に包まれ、本当に怖かった。
必死で泣きながらドアを叩き続け、悪いとは思ってなかったけど、誤りの言葉を大声で叫けびました。
「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!明日お花持って来るから許して!」そんな言葉の連呼だったと思います。

しばらくすると、シスターがドアを開けてくれました。
本当は優しいシスターだったのですが、俺は卑屈に謝りながら、明日約束通り、花を持ってくると泣きながら言い続けました。

そして次の日、母親に無理を言い、花を買って貰って幼稚園に向かったのですが、途中で先生の言葉を思い出しました。

「幼稚園には、余計な物を持ってきてはいけません」

この花は、持って行って良いのか?
でも約束はしてしまった?

足りない頭で悩んだのですが、結論が見つかりません。

それで俺は、その花を、教会の垣根の中へ捨て、家に帰りました。

その日から、幼稚園に行くことはやめ、人生で初めての中退をしました。
思えば、あの日から、俺は自分に異邦人を感じながら生きて来たと思っています。

(ちょっと長かったけど、大丈夫?)
2548.40年以上前のこと 返信  引用 
名前:ゆうこ    日付:4月1日(土) 21時5分
ryuchan,
40年以上も前に子供の心に受けた傷が、これまで意識の底に眠っていたんですね。

やすおさんの話に脳は入れたものしか出力しないとありましたが、
入れたものは消えずに残っているということなんですね。
2542.長くなると読みづらいので、別スレッドにします。 返信  引用 
名前:ryuchan    日付:4月1日(土) 18時11分

ゆうこさん

実は上記を書き込んだのは、その退行催眠のことなんです。

高校も中退し、再度行きだした頃からはいっぱしの不良と呼ばれるように育ち、大学に入ったら学校には行かずにバイトと海外、いつの間にか人に接したら、必ず落とすと異名を持つほど、人懐っこくなって、「女性と白い粉以外なら、なんでも売ってみせる」と豪語する営業になって、他人の事務所勤務は4ヶ月だけ、あとは長く独立して今に至っているのですが、49歳の時、この退行催眠を受けました。

そして、いつもは面白おかしくするこの話に場面にたどり着き、あの時の幼い自分の心に接しました。

そしてセラピストが言ったのです。

「その時代のあなたを、大人になった今の自分が、優しく抱きしめてあげなさい」

催眠中の俺は、当時の幼い俺自身を抱きしめました。

「そして伝えなさい。『大丈夫だよ。俺はお前を理解している。解って欲しかっただけなんだよね!大丈夫だよ!俺はお前を理解してるから!』と」

すると俺の目から、とどめなく涙が出てきたのです。
本当に恥ずかしかったのですが、嗚咽を上げながら涙を流し、あの頃の本当に寂しく、怖かった俺を抱きしめ、『大丈夫だぞ!俺はお前を理解してる!大丈夫だぞ!俺はお前を理解してる!』と、抱きしめながら、幼い俺の耳元に言い続けました。

セラピーが終わってから、体重100Kで髭じゃらのスーツ姿の俺は、目を真っ赤にしながら、恥ずかしそうにティッシュで顔を拭きながら、その部屋の窓からふと空を見上げたら、空は、あの幼稚園の帰り道で見た空と同じく、青く澄んでいました。


って話でした!
2540.ryuchanの幼稚園中退事件 返信  引用 
名前:ゆうこ    日付:4月1日(土) 10時56分
ryuchanの話を読んで徹子の「窓際のトットちゃん」を思い出しました。
彼女は今でいうADだったそうですが。
彼女の魅惑の欠落振りは、多くの人に希望を与えましたね。

私も幼稚園中退です。三月生まれの超チビ助は幼稚園の「みんな一緒」についていけませんでした。

息子も似たような傾向があったので、幼稚園は「モンテッソーリの原理」を実践する、ミッション幼稚園に入れました。

ここの幼稚園は園長がとてもすばらしい方で、子供は一日中何をしていてもいいのです。工具室で、工作をしたり、台所で一日中パンやクッキーを作ったり、本を読む部屋では一日中本を見たり、先生は子供の手助けをするだけ、男の先生もたくさんいました。

そのまま同じような小学校へいければよかったのですが、そういうところは寮のあるところしかなかったので、近所の公立へ行きました。

当然不適合。支配的な担任(1年生、2年生)と私たちは戦いながら、
息子を支持してきました3年以降は息子もなれ、先生もよかったので、小学校は無事卒業。

中学も公立、ここでは何とか1年の終わりまではよかったのですが、2年生のころから、登校拒否の症状が現れ、なにか特別の行事などがあると、腹痛、頭痛、吐き気でうちから出られない。自律神経失調、起立性低血圧症の診断で。

色が白くて、太り気味だった彼は何かにつけて自信がなく。(今は身長180センチ、スマートで、かっこいい←親の目からww)
もんもんとすごしていました。

このままでは、どうにもならないと思い、私は心理学の先生を捜し歩き、いろいろ指導を受けました。

高校は外国へ一緒に留学にいって暮らそうか、とか彼に合う高校を見つけて、寮に入れようかなど、日本中探しましたが、彼はうちから離れるつもりはありません。ましてや1人寮に入るなんて、とんでもないこと。完全自信喪失。

結局うちから通えるところで男子校(先生が気に入り)に決めました。
高校に入ってからは、柔道をはじめ、身長もめきめき伸び、あっという間に、立派な男になりました。

心配だったのは激しい反抗期がなかったこと、かといって親のいうことに従うというわけではありません。今でも思い出しますが、何かいうと、目は死んだ魚のように生気がなく、表情もなく、口も利かず、もう、これはほうっておくしかないという姿勢を取らされます。

でも、やはりこの高校が合っていたのでしょう。友人も出来、2年のころからは、殆ど手がかからなくなりました。

娘は激しい反抗期もあり、いろいろ大変な時期もありましたが、通常の道筋を通って、成長したように思います。
2543.Ryuchanの中退がうらやましい。 返信  引用 
名前:yoshikomushi    日付:4月1日(土) 18時19分
私もゆうこさんと同じ早生まれでちびでした。
3歳になったばかりの頃、季節保育園に行かされたの。歩いて大人の足で5分くらいのところだったけれど、茶摘み(5月)の頃に、働くお母さんのために子供を預かる保育所。その保育園で私は、「おしっこ」が言えなくて、いつもお漏らししてしまって、代えのパンツとおべんと持って、とことこ一人で歩いて行かされました。

私はこの保育園がいやでいやで、ある日、保育園の外の垣根に隠れて座り込み、もう夕方になったかな、と思ったころ帰ってきたら、まだお昼前だったらしく、母にすごく叱られ、押入れに閉じ込められました。今から思えば働いてもいない母がどうして嫌がる私をそんなところに入れたんだろう。

幼稚園は電車で1駅のところにあったのですが、半年、クラスの教室の片隅で立ったまま過ごしました。肝油をもらうときにも私だけ手を出さず、お遊戯もせず、呼ばれても返事もせず、一人で立ってました。

母が怖くて、それと本当はお遊戯が好きだったので、頭の中で覚えて帰り、家に帰ってから母の前で踊って見せました。だから母はてっきり私が楽しく幼稚園に通っていると思っていたようです。半年たった頃、幼稚園の先生から電話があり、私が何もせずに立ちんぼで一日過ごしていると聞かされた母は逆上、私を嘘つき呼ばわりし、お尻ぺんぺんされて、又、押入れに閉じ込められました。それでも、お遊戯はしませんでした。

でも、「お遊戯をしないと運動会には出られないね」との先生の一言がきっかけで、やり始めたんです。内心ほっとしたのを覚えています。やり始めるきっかけが欲しかったのかな。それが押入れに閉じ込められたから、というのではいやだったのかも。それで運動会のかけっこで転んで、そのまま後向けに走って親戚中で恥ずかしがられ、運動会、大嫌いになりました。

弟は男子だけあって、私に輪をかけて強烈に幼稚園が大嫌いで、先生を殴る蹴る、抱き上げられると髪の毛を引張り噛み付く、と毎日、幼稚園が震えるほどの騒ぎでした。

こんな母の子育てを、大きくなってからもずっと恨んでました。でも、反面教師という意味では私の子育てに役立ったと思うわ。


2550.Re: Ryuchanの中退がうらやましい。
名前:ゆうこ    日付:4月2日(日) 0時16分
反面教師という意味では私も母のやり方が、うちの子育てに役立ったと思っています。

うちの母も今ではかわいいおばあちゃんに変身しつつありますが、
相当なモンでしたからね。^^

私もおしっこもウンチもいえなくて、悲しい思いをしました。
ウンコ玉くっつけて帰ったこともあります。^^;
今でもうちに帰りづらくて、道端の蛇イチゴを摘んで途方にくれていたときのことを思い出します。


2553.Re: Ryuchanの中退がうらやましい。
名前:ryuchan    日付:4月2日(日) 9時19分

その思い出の中、退行催眠でその頃の自分に戻れると、また別の見方ができました。
気が付いていなかった、当時の本当の寂しさ。

俺の場合は、かあちゃんが「甘い母親」と周りから言われ続けてきたけど、今になって「かあちゃんも、わかってたんだな」と思い感謝しました。

思えば、やりたいことやらせてくれました。
余計なプレッシャーは勿論いっぱい与えて苦しめられましたが、結局自分の好きなことしかしない性格を、自分の期待とは別に尊重してくれていたのだと思います。