中国1.2. 台湾  国1・2・3・4  マレーシア
 2003/12/6 韓国の漢字教育UPしました。

             中国1 文化大革命が終わった後の学生たち  
 この人たちのことは忘れられない。1980年代、文化大革命(1966〜1976)が終わり、中国にもようやく安定の兆しが見え始めたころのことだ。
 クラスの中でも一際大人びた雰囲気の学生がこのあたりから目立つようになった。およそ30歳前後、非常に優秀で、学習態度も驚くほど立派な人たち。彼らの両親はいわゆる中国の知識階級である。そのため文化大革命の折粛清され、殺され、あるいは投獄され、子供たちは下放(農村などへ行かされ労働に従事)にあい、あるものは飲み水も満足にない砂漠地帯へ。あるものはダムの工事現場へ、姉も妹も、兄も弟も一家離散の状態だった。10代後半の多感な時代にそういう時期を過ごした彼らは日本留学の機会を大きなチャンスにしようと、それこそ猛烈な勉強振りでした。父親が外交官だったTさんは奨学金が出るという県立○月女子大学へ、K氏はやはり成績優秀者に奨学金が出る私立の○○大学へ、
いまの小皇帝といわれる中国の一人っ子世代とは、まるで人種が違うように思われる。
今でもそのうちの何人かは時々連絡をくれる。

R氏の両親は大学の教授、叔父、伯母にも大学の教授、医師などが多く、ドイツやイギリスに留学した経験もある。R氏は文革のとき大学にいけず空調関係の仕事をさせられていたが、4人組が失脚してようやく大学受験のチャンスができた。そのときすでに26歳。上海外国語大学という難関を突破して日本語を専攻、卒業後来日し、うちの学校で日本語をブラッシュアップし、日本の大手糸偏企業に勤めた。その後能力を認められて上海で支社を立ち上げ、支社長を何年かしたあと独立し、今では社員3000人を擁する7つの会社を経営し、年商60億と、成功を収めている。10年前に国へ帰ったのだが、ちょうど中国の経済成長の真っ只中。運命の神様も味方をしてくれたようだ。

O氏は日本語学校を卒業後、大阪大学の大学院で化学を研究、外資系の化学薬品会社に勤め、今では取締役になっている。その後、彼らの親戚、兄弟、息子などもこの学校を卒業し、医者や語学関係の仕事についている。
 中国はあの文化大革命で、百年の遅れをとったといわれているが、その後ケ小平の富めるものからどんどん金持ちになれというキャッチフレーズのもとに、中国は沿岸部と内陸部の巨大な経済格差を生みながらも、恐ろしいほどのスピードで変化してきた。中国は一年ごとに10年分の発展をするといわれるように、確かにその変貌の早さには舌を巻く。文化大革命で、それまでの中国のよいものをすべて否定し、壊しつくしてしまった4人組は今の中国を見てどう思うだろう。
文化大革命がよくわかる面白い本があります。
「ワイルドスワン」著者チンユワン。
「上海の長い夜」著者鄭念。

うえの学生の近況
2003年一月サーズ騒ぎの直前、友人と上海を旅行しました。8年前長春の帰りに訪れたときとは大きく変わっていました。和平飯店のある外灘あたりは昔のままですが。その川の反対側の東珠タワーの辺りは高層ビルが立ち並び、高速道路が縦横に走りそれこそ近未来都市のようです。また新天地という地域は最新型のショッピング街でシンガポールか、アメリカかと思うようなきれいでおしゃれな町並みになっています。
上に書いたR氏が忙しい中をホテルまで迎えに来てくれ車で新しい地域を案内してくれました。その間も携帯にはしょっちゅう電話がかかり、事業の内容を説明してくれました。5年前彼が日本に来たとき会いましたが、そのときは事業展開の真っ最中で、近況報告をしたかったのでしょう。ローレックスの時計をはめ、いかにも金満紳士といった趣でしたが。今ではすっかり大企業の社長といった上品な風貌で成功は本物だなと思いました。このあいだ会社のお洒落なURLを送ってきてくれました。織物の工場で8割が日本向け、2割が欧米向で、日本語と、英語の両方で見られます。興味のある方はメールでどうぞ。

もうひとりはO氏、彼は半分がウィグル族、半分は日本人で、毎年年賀状をくれます。彼のお母さんは中国残留者で、知識階級の養父母に育てられ文革のときは子供を抱えてたいそう苦労されたようです。非常に知的で魅力的な方で、20年前日本へ帰国した当時に中国語の語学学校を始め、今でも日中友好に努めていらっしゃいます。O氏は中国の大学で化学を専攻、お母さんと帰国後この学校で日本語を学び大阪大学の大学院で化学を研究、自分は半分ウィグルだから中国人というよりコスモポリタンだといって、はじめから外資系の会社を目指し、ドイツ系の製薬会社に就職後は着々と地位を上げ、2年前には日本で家を買い、子供たちも成長、優雅に暮らしています。中国人(漢族)の奥さんは来日後ずっと上記の学校で中国語を教えています。その後妹さん夫婦も来日、たまたまその御夫婦も私のクラスの学生でした。妹さんのご主人は漢方医で京都大学の医学部の研究生に、妹さんは服飾関係の大学へ行きました。
この妹さん夫婦は中国へ帰り、息子さんをはじめ今でも親戚の子供さんをうちの学校へ送ってくれます。
中国2   最近の学生たち
2〜3年前からうちの学校に東北○○学校という重点校の卒業生が団体で入るようになりました。重点校と言うのは日本でいえば、灘校や、ラ・サ―ルのような進学校です。この人たちは、中学から日本語を6年間第二外国語として学び、英語数学その他の学科も非常によくできる人たちです。中国では大学に行きたい学生は全国統一試験というのを受け、優秀な学生が中国の大学に行きますが、東北地方のこの高校では日本語もできるので東大、京大というような大学を狙います。10月に来日し、まずこの日本語学校に入り、11月に日本留学試験を受け、結果を持って2月3月には日本全国国立大学受験の行脚に出かけます。
中国のこの学校の授業のやり方はまさにスパルタ式で、全寮制。或る学生が日本語学校のスピーチコンテストで、そこでの6年間が如何に厳しいものだったかを涙ながらに話しました。まるで軍隊のようです。親から離れて、6年間寮の狭いひと部屋に6人が共同生活。一人っ子ばかりが集まってのこの生活は彼らにとってどんなにつらいことだったでしょうね。でも、若いうちのそういう経験は何ごとにも代えがたいでしょう。目から鼻に抜ける人たち。考え方もバランスが取れているし、視野も広い。小論文を書かせても、ディベートをさせても面白い。やっぱりそういう生活も彼らを鍛えたのでしょうね。


それとは反対に自立できていない学生もたいていクラスに一人か二人はいます。
中国では、両親ともに働くのはあたりまえ、共働き家庭で、祖父母がおもに面倒を見るというケースが多い。いきおい子供たちを甘やかすことになる。中国では、両親が留学中で、祖父母が預かっているのも至極普通に見られる光景のようです。そういう家庭は裕福で子供たちはとても大切に育てられます。学習の習慣がない子供たちも親が裕福なために日本に留学させるというケースもあります。日本でもそういう傾向がありますけどね。1990年代から2000年ごろまでは、いわゆる苦学生というのがぴったりのいい学生が多かったのですが。今はマンションで、PC三昧、アルバイトもしなくていいという学生も増えています。

台湾
 台湾がなぜ韓国と同じように戦時中日本の植民地だったのに、親日家が多いのでしょうか。
 戦後、台湾は日本の統治下から解放され新しい国として出発しようとしていました、そこへ中国共産党に追われた国民党が、蒋介石に率いられて大量に逃げ込んできたわけです。そして国民党政府は自らの軍事政権下に台湾を収め、日本以上の圧政を敷いたわけです。インフレが進み、共通語は北京語となり、抵抗勢力には虐殺、粛清が行われました。国民党はいつか、中国を取り戻そうということで、反体制側への弾圧が、2000年に陳水扁氏(初めての国民党ではない台湾出身の政治家)が総統に当選するまで、ひそかに続いていたようです。前の総統の李登輝さんは国民党でした。
日本が台湾統治時代にしたことは
鉄道の敷設。灌漑整備、アヘンの専売、教育の整備、治安の強化
当時の台湾は、アヘンが蔓延し、治安は恐ろしく悪いという状態のところへ日本が強権で整備しなおしました。台湾の人にとってはたとえ植民地化のためであったとしても、それまでよりはましという印象があったのでしょう。もちろん反日感情は当然あったでしょうが、国民党が入ってきて、日本の統治時代の印象が美化されてしまったようです。昨年台湾の高雄へ行ったとき、卒業生が、台湾記念館へ案内してくれました。この記念館は陳水扁氏が総統になってはじめて、台湾の歴史を正しく語るものとして作られたのだという説明でした。そこには日本統治時代の品が多数展示されていましたが、当時を懐かしむような展示の仕方だったのが印象的でした。国民党による圧政、反対派の虐殺、戒厳令が敷かれた当時の写真、インフレに苦しむ市民の様子などが生々しく展示されていました。同じ、植民地政策が取られた国であるにもかかわらず、韓国と台湾がなぜこのように違うのかということを知ってとても印象深いひとコマでした。
台湾の学生から受ける印象は、穏やかで、明るく、まじめということです。大陸の中国は文化大革命で長い歴史に培われたすべてのものがねこそぎ破壊されようとしたけれども、台湾の人々には今でも大人(たいじん)らしい風格と昔の中国人が持つ良さが残っているという感じがします。


韓国1 漢字教育
韓国でハングル(文字)が発明されたのは1446年李朝の世宗大王のときで、それまでは日本の奈良時代と同じように漢文が中心でした。
それからはハングルと漢字を混ぜて使うようになりました。日本でも鎌倉時代から漢字かな混じり文になりましたね。ハングルは振り仮名のようにも使われ、漢字のわからない人でもわかるようになりました。
日帝時代は、日本語を学習することを強制された人々の間で、日本語の漢字用語が浸透、そして1945年8月15日に開放されたあと、学術用語などはそのままの形で、韓国語読みで残ったケースが多いようです。
戦後アメリカ軍が韓国に駐留するようになったとき、公文書や教科書に漢字使用が廃止になりました。
それから漢字擁護派(知識人)と漢字廃止派(韓国は中華帝国の属国ではない、漢字は日本植民地支配の残滓という考え)との戦いになり、1970年朴政権のときに完全に廃止。その後結果について議論沸騰。
金大中政権のときに、漢字教育が復活。現在では小学校から学習、中学では漢文の授業も復活。900字が必修になったということです。(しかし現在も原則としてすべてハングルで表記するようです。)
ですからうちの学校に来る学生も2,3年すれば漢字に苦労することがなくなるかもしれませんね。
北朝鮮では目立った議論はなく解放後まもなく漢字は表記から全廃されたそうです。

韓国で国字といえばそれはハングルであって漢字は含みません。しかしほとんどの韓国人が姓名には該当する漢字を持っているので、公式文書では姓名にのみ漢字による表記も併記するよう求められます。最近の女性の名には、該当する漢字の無い名も少しずつ現れているようです。
韓国2 兵役
ご存知のように韓国には兵役がある。20歳になるとたいていの男性は兵役を課せられる。兵役を免れるのは、長男で一人っ子だけだそうだ。
最近の韓国の子供たちは日本以上に甘やかされて育つらしいが、兵役を済ませれば自然に大人になるからという考えもあってのことだろうか。この学校に来ている韓国人が兵役を済ませているかそうでないか、少し様子を見ただけでわかってしまう。
兵役は恋人との仲も裂くし、兵役の間に自殺する人も結構多いらしい。兵役は大学へ行っている学生なら、たいてい2年生の時に召集が来る。兵役が終わると、大学に戻るまでの間、1〜2年海外に留学する学生が多い。留学するのは、イギリス、アメリカ、日本の順だ。オーストラリアへ行く学生も多い。
(兵役は陸軍が2年2カ月、海軍と空軍は2年6カ月。終了後も8年間の予備役があり、年に1度、射撃訓練などを行う。五輪のメダリストなどは特例で免除される。6月のサッカー・ワールドカップでも、16強入りしたため代表選手は免除された。)
兵役があるためか、韓国人の男性が、自立するのは日本と比べて明らかに遅い。
それに外国留学を終えて、国へ帰り、大学に復学してやっと卒業したときには28歳、29歳というのがやたらに多い。武より、文のお国柄か、学問に対する家族の鷹揚さは驚くばかりだ。
韓国3 学生たち

学校での様子
日本語教師に対する彼らの態度は、礼儀正しく明るく節度があって非常に好ましいものである。これは儒教教育のおかげだろう。
授業態度もよいし、教師に物を手渡すときなども片手を沿えて実に恭しく接してくれる。廊下で出会ってもおはようございますと、大きい声で挨拶をしてくれる。だから日本語教師である私は韓国人が普通どういう付き合い方をするのかについてはあまり知らないといってもいいかもしれない。
授業が終わるとたいてい韓国人の誰かがロビーに集まっている。新学期に新しい学生が入ってくると歓迎会をし、先輩が後輩の面倒を実にまめに見る。
うちの学校では毎年クリスマスの時期にパーティーがあり、そのとき各国の学生が自国の歌や踊りや楽器の演奏を披露してくれる。たいていの国は、比較的早い時期にどんな出し物にするという報告があるのだが、韓国はぎりぎりまで決まらない。その時期毎日ロビーにはたくさんの韓国人が集まって議論をしている。最後の最後まで意見がまとまらない。というのが例年の傾向だ。けれども最終的にはまとまって、あとは突貫工事式に夜中までかかって、練習をする。たいてい出し物は寸劇である。この行事が始まったころは、なかなか決まらないため、今年は韓国は無しだね。なんて担当教員の間で話していたものだ。毎年学生は変わるが、この傾向は変わらない。ということは韓国人の特性と見ていいのだろうか。日本人はまとまるのが早いが、韓国人はまとまるのに時間がかかる。それぞれ主張がありすぎるのでまとまらないのかもしれない。


最近は例年国単位で披露するというパターンが浸透。
早い時期から練習を始めているようです。

韓国4 恋愛

20年ぐらい前に教えた学生で、ノイローゼになって帰国した学生がいる。
この学校の外のクラスの女性と付き合っていたのだが、結婚を意識し始めたころ、彼女と自分の本貫が同じだということがわかって、彼女と別れざるを得なくなったらしい。
本貫について説明しよう。韓国には5大姓、金〔キム〕李〔イー〕朴〔パーク〕 崔(チェ〕鄭〔チョン〕を始め同じ姓の人が多い。全部で300ぐらいしかないそうだが、本貫(ホングアン)というのはその姓の人の出身を表す。本貫が同じということはその二人は先祖が同じということで親戚と考える。日本では従兄弟であっても結婚できるが。韓国ではそんなことは考えられないらしい。それはそうだろう、遠い先祖でも元が同じなら結婚はタブーとされているのだから。本貫が同じで、結婚できないカップルの悲恋は昔からたくさんあったらしい。自殺をする人の原因の何パーセントかはそれだという話もある。 だから同姓の未婚の男女がはじめてあったときにまず聞くのは「本貫はどちらですか。」ということだそうだ。

 

マレーシア
10年程前に、国費の学生で、マレーシアから、毎年30名ほど、団体で引き受けていたことがあります。
このころは男性ばかりで、親が政府高官であったり、軍のえらいさんだったり、エリートばかりでした。
全員がマレー人で、この学校で一年間日本語を勉強してから日本各地の国立の高等工業専門学校へ進学します。ほとんどがムスリムで、学校でも決められた時間にお祈りをしなければならないので、お祈りの部屋を別に作りました。食堂でもメニューにはこの料理には豚肉、豚のエキスは使っていませんというような表示をしましたね。学校からのバス旅行に持っていくお弁当も、豚肉は止めて、鶏肉に変えたと思います。しつけのよく行き届いた、立派な20代前半の学生たち、まじめでよく勉強しました。
バス旅行のとき、突然全員がいなくなり、驚きましたが、お祈りの場所を探していて時間がかかったとか。
イスラム教の習慣に身近に接して、とても印象に残っています。イスラムでは女性に対して厳しい目をもっているようで、女性教員に対して、慇懃ですが、なんとなく心を許していないという雰囲気を感じました。イスラムの祝日にはマレーの服を着て登校します。なかなか男らしくて凛々しかったという印象があります。イスラム教では、豚肉はもちろんですが、鶏肉も決められた儀式をした上で、殺した肉しか口にしません。彼らの住んでいた留学生寮には毎週神戸から、お祈りを済ませた肉類を売りに来ていたようです。
イスラム教にはラマダンという断食月(だんじきつき)があります。月の満ち欠けによる太陰暦をもとに作られたイスラム暦の9番目の月で、最も神聖な月とされています.
太陽暦じゃないので、毎年だんだん時期がずれていきます。たばこや唾さえも体内に入れたら断食は成立しないそうです。けれども、断食するのは夜明けから日没までの間だけで、日没後の飲食は許されます。 イスラム教では、断食が信仰の一つの形とされ、断食をすることで、一年間に犯した罪を償い、 貧富の差にかかわらず、すべてのイスラム教徒が断食によって、平等を意識付けるという意味があるそうです。その一ヶ月間は授業が大変でした。午後みんなの顔はうつろです。日没後は食事をしてもいいということで、本国でのその月の食料品の売上はほかの月より多いという統計があるとか。
5年程前から、国費の別のコースで女性のマレー人がくるようになりました。女性の教育にも力が入れられるようになったのでしょうか。彼女たちはなんと言う名前か忘れましたが、チャドルのような白っぽいスカーフを常にかぶっています。男性たちと比べるととても控えめで静かな人たちが多いという印象です。マレーシアではマレー系と、中国系、インド系のマレーシア人が混在し、国はマレー人をとくに優遇する措置をとっているようです。ですから国費生は全員マレー人です。私費の留学生でマレーシアから来ているのはほとんどが中国系マレーシア人で、かなりの富裕層です。或る中国系学生は、カーレーサーだったが、コンピュータを勉強しようと思って日本へ来た、彼の親はスポーツカーを何台も持っているそうです。マレーシアでは車を持つ場合、大変な税金を払うようですが、スポーツカーを何台も持っているなんて、どれほどの金持ちなのでしょう。そういう彼は本当にお金持ちの御曹司らしく、上品で素敵な人です。ほかの中国系マレーシア人もなかなかに魅力的な人が多いです。兄に続いて、僕も来ましたといって、国立大学にいった人もいるし、うちの学校の先生と結婚して、いま日本の一流企業に勤めている人もいます。がインド系のマレーシア人はぜんぜん見ません。私の友人の一人にマレーシアに長くいた人がいますので、またその人の話を聞いて、追加補正したいと思います。

読者の投稿より
イスラム教徒は鶏肉でも殺す時に儀式をしたものでないと食べられない。その儀式を施してあるものはハラールと呼ばれ、施してないものはノン・ハラールと呼ばれる。豚肉はいっさい食べない。インド人は牛肉は食べない。英国でもスーパーによってはハラール、ノン・ハラールと書いてある所がある。このコーナーでインド人のマレイシア人は日本に留学しないと知って、なるほどと思った。インド人は一番貧しい。マレー人には権力がある。中国人は商売上手。でもインド人は何もない。だから留学も出来ない。
マレイシアの女性は法律上はとても差別されている。あんな暑苦しいバチュコロンを着て、スカーフまでかぶって。マレイシアは湿気が多くて暑いのに、あの服の生地は日本製のモスリンです。夏にモスリンの生地なんて着る気にはなりません。男性は4人まで奥さんもてるけど、女性は不倫したら、親戚一同から殺されても文句言えないくらい悪いこと。もし不倫した女性をその父が殺しても罪はとても軽い。無罪になるくらい。
それとどんな理由で離婚する場合も財産分与は無し。だから、女性は金銀を買ってもらいたがる。いつも全財産つけて歩いている。それも24金。そのほうが値打ちがあるから。それは自分のものだから。いわば財産代わり。これはチャイニーズもマレーも変わらないようです。この情報はチャイニーズのマレイシア人と結婚した英国女性から仕入れました。でも、おかしなことに日常生活では女性は強い。ほとんどの女性は結婚しても共働き。だから、子供のお迎えをしてる男も見かける。夫の会社の運転手の奥さんはパーティに来ても、夫にあれしろこれしろと言いながら、子供の面倒見させてました。かかあ天下です。なんと言ってもブレッド・ウィナーは強い。

マレーシアの女性の話、イスラム教は厳しいと聞いていましたけど、実際見聞きした人の話はずんとこたえますね。でもかかあ殿下の話を聞いてほっとしました。
何人も妻を持ってもいいけど、すべての妻を平等に扱う義務があるというような話もありますね。それは本当に大変。以前、映画の「シェルたリングスカイ」を見たとき、イスラム世界の異質さをとても興味深く感じましたが。
国別の感想